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或教授の退職の辞(令和4年3月16日)
こんにちは。退職の辞を述べよ、と言われる。あと1年半は(特任教授として)ここにいるわけだから、挨拶は省略してほしいと願い出たのですが、どうしても、と言われるなら、「何にも分からず、何もできない私を、いやな顔一つせずに助け、支えてくださった。世知辛い大学の仕事を何とか楽しく過ごせたのは、皆さんのおかげだ」、と述べて終わりにしようと思っていたのですが、学部長から不思議なメールが届いたんです。「教育学部卒業」の挨拶をしろと言う。よく読んでみるとどうやら「私」が卒業するらしい。
教員の卒業?こうなると、ただやめるということではない。そうなると考えなければならない。教師の卒業とは何か。卒業と言えば卒業時の姿が問題になる。教師の卒業時の姿とは何か。よれよれになって使い物にならなくなる、というのではなしに、研鑽を重ね、その行き着く先に見えてくる教師の姿ということです。皆さん、どのようにお考えになりますか。どなたかご発言ありませんか。隣の人と話し合っても結構ですよ。
西田幾多郎という哲学者がいます。彼が京大を退職する時の退職の辞が残っているんですね。初めははにかんでいたが、宴も終わって皆が打ち解けた頃に再び立って述べるんですね。その中にとても有名な一節があるんです。そこにはこうあります。「私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向って一回転をなしたと云えば、それで私の伝記は尽きるのである」。
しかしよく考えて見ると、西田は一回転していませんね。180度回転しただけです。一回転するにはあと180度回転して360度回転しなければならない。そうしてもう一度黒板を前にする。その時、黒板は以前と全く違って見える、ここに教師の卒業時の姿が見えるように思われるのです。そうして西田も京大を退職した後実際にそうした回転をなしたように思われるのです。
少なくとも私は学生時代までは黒板を前にして座りながら、そこに答えが書き込まれていると思っていました。そうして教師になってからは答えを後に背負って教えてきました。しかし教師の究極的な姿というのはそこにはない。あと半回転してもう一度黒板に向き合う。そこには何も書かれていない黒板がある。問いしかない。そうして答えのない問いの前に児童生徒学生とともにたたずむ、そこに教師の卒業時の姿があるのではないか。
しかしそれは単に卒業時の教師の姿というだけではなく、単元単元ごとにその終わりに、ということは、それまでに教師としての手立てを尽くしたのちに、児童生徒学生とともに、答えのない問いの前にたたずむのという姿がありうる、それが教師の究極の姿ではないか、ということです。
しかしこの姿というのは教師の究極の姿であると同時に学びの原点でもあります。学びの原点は何かに出会い、言葉を失うというところにあります。そこから問いが起こる。これが学びの原点です。ですから教師の卒業とは教師として何か出来上がるのではなく、学びの原点に返ることではないかと思うのです。K先生(私に「卒業とは何か」と問うた先生)、これでいかがでしょうか。
ただすでにお気づきと思いますが、すでに私は答えを背負って皆さんに向かって話しています。答えが出た所から話す、人間にはそれしかできないんです。残りの180度は自分の力ではできない。言葉を失う体験を意図してすることはできない。これが問いの偉大なところだとおもいます。
これで終わります。ありがとうございました。
(担当:佐野)